山梨県にある戦国武将・武田信玄の菩提寺『乾徳山 恵林寺』に行ってみた!
山梨県甲府市にある武田信玄の菩提寺として知られる鎌倉時代創建の古刹『恵林寺』にやってきました。
武田信玄は戦国時代に最強と云われた上杉謙信のライバルで、織田信長に生涯最大の敵として恐れられ、徳川家康をあと一歩まで追い詰めた武将だね。
はい!! 信玄は徳川家康をあと一歩のところまで追い詰めた三方ヶ原の戦いの最中に病気で亡くなってしまった為、遺言に則り混乱を避ける目的で3年の秘喪の後に、恵林寺にて葬儀を行い菩提寺として弔われたと云われております。
戦国マニアには堪らない寺院をご案内したいと思います。
▼アクセス
恵林寺へ公共交通機関で訪れる場合は、最寄りのJR中央本線塩山駅からバスまたはタクシーを利用して訪れる事になります。
徒歩でも約4㌔程なのでスマホ(ナビ)を片手に歩けない事もないですが、個人的には家族(4名)で行くのなら行きはタクシーを利用し、帰りはバスがオススメです。
※甲州市市民バス西沢渓谷線・窪平線に乗車し「恵林寺」バス停で下車
古い町並みを観ながら歩くのも良いけど、な~んにもない道程だからね。
ちなみに、僕は車で訪れ門前の無料駐車場を利用しております。
恵林寺の入口に建つ黒門と呼ばれる総門を抜け、整然と木々が茂る境内を歩きます。
赤門と呼ばれる朱色が印象的な門が見えてきました。
▼四脚門(赤門)
この門は、赤門と通称で呼ばれておりますが正式名称を四脚門といい、武田家が滅んだ後の桃山時代に徳川家康によって再建されたと伝えられます。
この山門には恵林寺の山号である「乾徳山」の扁額が掛けられており国の重要文化財に指定されております。
赤門を抜けた境内の真ん中程の場所には池があり、池を渡るように石橋が設けられております。
そして、奥にはまた違う門が観ております。
▼三門
この県の重要文化財に指定される『三門』は「心頭滅却すれば火もまた涼し・・・」の言葉で有名な門です。
簡単に当時の歴史をお話しするとね。 織田信長によって天正十年(1582)に武田氏が滅亡されただんけど、その後の戦後処理をするなかで恵林寺にも信長に敵対した六角義定等の身柄を引渡すように要求したんだ。
でも、この寺の住職だった快川和尚がそれを拒否した為に、焼討ちに遭って焼き殺されちゃうんだけど、その時に和尚は、三門に立って「心頭滅却せば火も自づと涼し」と辞世の句を詠んだと云われてるんだ。
その為、元あった三門は焼け落ちてしまいましたが、その後に徳川家によって再建されたのが今日の三門だそうですね。
▼開山堂
三門から入って直ぐの正面にあるこの建物は『開山堂』と言い、甲州市指定文化財に指定されております。
内部には、開基の夢窓疎石(むそうそせき)、武田信玄の信任が厚かった快川紹喜(かいせんしょうき)、織田の焼き討ち後に徳川の庇護を受け再興した末宗瑞曷(まっしゅうずいかつ)の三像が堂内に安置されております。
境内には武田信玄が愛用したと伝わる軍配等が展示されている『信玄公宝物館』なる歴史博物館もありましたが今回はスルーして本堂に向かいます。
ちなみに拝観した場合、小中学生は100円で、一般は500円となっているよ。
とっとこ、とっとこ歩いて行きます。
織田によって焼き討ちに遭った恵林寺ですが、武田の人心を掴むべく徳川によって見事に再建されております。
といっても、明治38年の火災によって伽羅の殆どを焼失してしまっており、現在の本堂等は明治時代に再建されたものだよ。
写真の右手に見えるのは『庫裡(くり)』といって住職達の居住空間だよ。
この庫裡(くり)から堂内に入場し、拝観します。
※大人300円 / 小中高生100円
堂内に入ると風林火山の墨書がお出迎えしてくれます。
重要文化財に指定される恵林寺の庭園を望みながら堂内を拝観します。
お堂は前述の通り火災によって焼失してしまっている為、明治期のものです。
それでも既に100年は経過しているので年季が入りいい感じです。
流石!!重文に指定されるだけあって、方丈庭園は見応えがあります!!
また、右手奥には「勅使門」が見えております。
勅使門というのは、天皇陛下の命令(勅令)やお言葉を伝えに来る使者が通る為の特別な門の事だよ。
ちなみにこの写真が表から見た勅使門です!
訪れたのは山梨が紅葉が訪れる直前の11月中旬です。 その為、未だ観光客も少ない静寂に包まれた境内を散策出来ました。
▼うぐいす廊下
ここからうぐいす廊下を通り、武田信玄が生前に自身を摸刻させたと伝わる等身大の「武田不動」と呼ばれる不動明王が安置される「明王殿」へと歩を進めます。
『うぐいす廊下』は、床板の上を人が歩くと音が鳴る様に造られており、侵入者が通った際に検知する仕組みとして用いられたりしたそうです。
歩くとウグイスが鳴くような??音がするね。(ぜんぜんウグイスぽくないけど・・・)
「武田不動」は撮影が出来なかったので、続いて庭園の池にいる鯉にエサやりに興じます。
餌を一粒づつあげようと思ったけど、手に匂いが付くのが嫌だから、一気にば~んってあげちゃったとこだよ。
渡り廊下から見る庭の風景は時を忘れるほど美しく、いつまでも見続ける事が出来ます。
ちなみに、愛娘はココが人生初の旅行で訪れた寺院です! 武田信玄の様に強くなって欲しいものです。
また、大きくなったらもう一回来るよ!
美しい庭園の風景を目に焼き付け後にします。
お堂、庫裏を出て右手を観ると三重塔が見えましたので「見事なものだなぁ」と近づくと、コレ・・・納骨堂でした・・・
ちなみに、納骨堂の前には「武田不動尊」と書かれた石柱と奥へと続く参道がありますが、これは先ほど”うぐいす廊下”を渡り観た”武田不動”が祀られる『明王殿』の正面へと続いております。
『明王殿』正面はこんな感じです。
傍らには苔むした『大小切騒動の殉難の碑』が置かれております。
”大小切騒動”を簡単に言うと、武田家以来この甲府の地で続いてきた税金(年貢)の軽減策が明治にはいって廃止となった事で起きた暴動の事だよ。
▼さいごに
以上で、山梨県にある戦国武将・武田信玄の菩提寺『乾徳山 恵林寺』のご案内となります。
観光シーズンに訪れると賑わう寺院ですが、シーズンオフを狙って来たので静寂を楽しみながら参拝する事が出来ました。
皆様も名将・武田信玄の足跡を辿りに訪れてみては如何でしょうか。
ご精読ありがとうございました。
人生初の旅行で訪れたにしては渋い寺院だったけど、いい思い出になったよ(親が・・・)
みんなも一度はおいでね~
▼最寄りの宿
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406-0024
山梨県笛吹市石和町川中島192
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